2024年12月7日 | その他
宇宙センターの光のアートを見ました。 大きな四角い箱。 息子は、「おばけがいるんじゃない?」と足取りが重く、 楽しみを伝えながら中へ(笑)。 たくさんの穴から漏れてこちらに向かう光。 Screenshot 感覚に訴えかけるような音。 音と光に強弱があるような、 見る角度によって入ってくる光が変わる。 この光は、、と後で繋がる時がありました。 そして一番奥の最後のアート。 千田さんの作品。 たくさんの光がうよめいていて、 魚がぶつかり合って弾けていくような、 自分がふわーっと 水の中に飲み込まれて沈んでいくような...
2024年12月7日 | その他
私は東京にいるときと、 種子島にいるときの自分の変化に今回、 だんだんとジェット機が種子島に 着陸していくとき、 ジェット機を降りた瞬間に感じていました。 あれ。東京にいるときは大丈夫だったのにな。 あぁ帰ってきたんだな。 不思議や感覚でした。 様々な想いが蘇ってきて、 慌てて乗ったあの日がフラッシュパックし、 東京では、あんなに良い納得のできる お別れができて、エネルギーを溜めて パワーアップして帰ってきたと思っていたけれど、 不思議な感覚でした。隣で 久しぶりの種子島に喜ぶ息子。 あぁ、またここから...
2024年12月3日 | その他
9年前の卒園児のお母さんから、 お便りが来ました。 卒園した思い出の園で職業体験をしました。 色々と思い出すようです。と 連絡を頂きました。 私たちが過ごした園に 8年ぶりに訪れたそうです。 当時のこと、私もすぐに取り出せるくらいよく覚えています。 一人は、何かあればすぐに逃走してしまうけれど、物語を作り出すと止まらない子、 一人は、マイペースで絵が上手でみんなに気にかけてもらえるような子。 卒園してからも、お母さんが節目節目に連絡を下さり、近況を報告してくれていました。...
2024年12月3日 | その他
私は、マンモス園で園児数500人の園に勤めていました。 先生だけでもトータル100名ほどいる園でした。 そして小規模園でも働いていました。 約10年間、保育士、幼稚園教諭をしてきたなかで いつか、自分に子どもが出来て子どもを預けるとしたら・・・ どんな人に安心して任せられるかを常に考えて、客観的に見ていた気がします。 自分自身も、振り返ると若いとき、 子どもを産む前は、 自分自身の体調や、家族の状況、精神状態、心が安定していなかった時もあります。 子どもの大切な時期に向き合うのに 失礼だなと思う時もありました。...
2024年12月3日 | その他
私は千葉県船橋市で生まれました。 幼少期のほとんどは印西市というところで育ちました。 日本で住みやすい町 5年連続1位に選ばれた場所で、 隣の駅は船橋。休みの日には、よく父に アンデルセン公園という場所に よく連れて行ってもらっていました。 そこにはさまざまなアトリエがあり、 朝早くからそこでたくさん ものづくりをしていました。 当時、2個上の姉は どんどん自分で作っていくタイプ。 私は父を独り占めして、 一緒に作る時間が大好きでした。 父は、全国を飛び回る講師でほとんど 出張で家にいない父でしたが、...