宇宙センターの光のアートを見ました。 大きな四角い箱。 息子は、「おばけがいるんじゃない?」と足取りが重く、 楽しみを伝えながら中へ(笑)。 たくさんの穴から漏れてこちらに向かう光。 Screenshot 感覚に訴えかけるような音。 音と光に強弱があるような、 見る角度によって入ってくる光が変わる。 この光は、、と後で繋がる時がありました。 そして一番奥の最後のアート。 千田さんの作品。 たくさんの光がうよめいていて、 魚がぶつかり合って弾けていくような、 自分がふわーっと 水の中に飲み込まれて沈んでいくような...

言葉。

私は東京にいるときと、 種子島にいるときの自分の変化に今回、 だんだんとジェット機が種子島に 着陸していくとき、 ジェット機を降りた瞬間に感じていました。 あれ。東京にいるときは大丈夫だったのにな。 あぁ帰ってきたんだな。 不思議や感覚でした。 様々な想いが蘇ってきて、 慌てて乗ったあの日がフラッシュパックし、 東京では、あんなに良い納得のできる お別れができて、エネルギーを溜めて パワーアップして帰ってきたと思っていたけれど、 不思議な感覚でした。隣で 久しぶりの種子島に喜ぶ息子。 あぁ、またここから...

繋がり

9年前の卒園児のお母さんから、 お便りが来ました。 卒園した思い出の園で職業体験をしました。 色々と思い出すようです。と 連絡を頂きました。 私たちが過ごした園に 8年ぶりに訪れたそうです。 当時のこと、私もすぐに取り出せるくらいよく覚えています。 一人は、何かあればすぐに逃走してしまうけれど、物語を作り出すと止まらない子、 一人は、マイペースで絵が上手でみんなに気にかけてもらえるような子。 卒園してからも、お母さんが節目節目に連絡を下さり、近況を報告してくれていました。...

そこにあるもの。

私は、マンモス園で園児数500人の園に勤めていました。 先生だけでもトータル100名ほどいる園でした。 そして小規模園でも働いていました。 約10年間、保育士、幼稚園教諭をしてきたなかで いつか、自分に子どもが出来て子どもを預けるとしたら・・・ どんな人に安心して任せられるかを常に考えて、客観的に見ていた気がします。 自分自身も、振り返ると若いとき、 子どもを産む前は、 自分自身の体調や、家族の状況、精神状態、心が安定していなかった時もあります。 子どもの大切な時期に向き合うのに 失礼だなと思う時もありました。...

私の原点

私は千葉県船橋市で生まれました。 幼少期のほとんどは印西市というところで育ちました。 日本で住みやすい町 5年連続1位に選ばれた場所で、 隣の駅は船橋。休みの日には、よく父に アンデルセン公園という場所に よく連れて行ってもらっていました。 そこにはさまざまなアトリエがあり、 朝早くからそこでたくさん ものづくりをしていました。 当時、2個上の姉は どんどん自分で作っていくタイプ。 私は父を独り占めして、 一緒に作る時間が大好きでした。 父は、全国を飛び回る講師でほとんど 出張で家にいない父でしたが、...