「間違えたら怒られる」という空気があると、

私は、子どもたちは安心して挑戦することができないと思います。

集団生活の中で、

みんなと同じことを、同じようにできることが良しとされる場面たくさんあります。

そのなかで、やるべきことを間違えてしまったり、

正解を外してしまったりすることは、

誰にでもあることです。

でも私は、その“間違えてしまった瞬間”こそが、

学びが深まる最大のチャンスだと思っています。

どうして間違えたのか、

どこでつまずいたのか。

それを知ることで、はじめて

「次はこうしてみよう」と思える

前向きなステップが生まれるからです。

けれど、間違えたことで

怒られるかもしれないと怯えながら

評価を待つような空気には、

私はあまり意味を感じていません。

「間違えてもいいんだよ。

そこから覚えていけばいい」と言ってもらえる環境があれば、

子どもたちはどんどん伸びていくと思います。

でも、間違えることが、罰のように扱われ、怒られてしまうとすれば、

その子の意欲はきっとしぼんでしまうと思うのです。

「間違えてもいい」と

「間違えてはダメ」

この二つの言葉の意味は、

まったく違います。そして、

「間違いに対して怒る」という

行動の裏には、どんな気持ちが隠れているんだろう?と考えます。

その子にとっては、

ちゃんとやっているけれど

間違ってしまうこともあれば、

たしかに何も考えていなかったり、

話を聞いていなかったりして

間違えてしまうこともあります。

そのとき、その子が、その問いかけに

耳を傾けられる気持ちの状態だったのか、

楽しく取り組めていたのか、

そこも含めて見ていくことが必要だと思います。

楽しくないことだったとしても、

どうすれば伝わるかを考えるのは、

大人の役割だと私は思います。

集団の中で一人ひとりに寄り添うのは

難しいときもあります。

でも、怒る前に

「何のためにその行動を止めたいのか」

「なぜ間違ってほしくないのか」と

目的を明確にしておくことがとても大切なのです。

みんなで同じペースで進めたいから?

足を引っ張られて周りからの評価が下がるから?

誰からの評価を気にしている?

それをする目的は何?

何度も同じ間違いが続いているから怒る?

話を聞いているのか

聞いていないのかが分からないから?

あるいは、自分の伝え方が

うまくいっていないと感じて悔しいから?

その怒りの矛先は、

本当に子どもに向けられているのか、

それとも自分自身に向けた

焦りや不安ではないのか。

大人自身が自分の感情の根っこを見つめる時間も、

きっと必要なのだと思います。

「どうしたらこの子が楽しく学べるのか」

「どんな言葉がこの子に届くのか」

そんな問いを持てるとき、

評価のためではなく、

その子の、知りたいという意欲や

やりたい!と思える空気作り

でこそやる気スイッチが生まれたりします。

私がこのテーマを取り上げたのは、

日々、息子や

子どもたちと関わる中で聞こえてくる、

ふとした言葉たちがきっかけでした。

その言葉は誰に向けられたものなのか。

どうしてその一言が必要だったのか。

言わずにはいられなかったのか。

それを言わないと切り替えられなかったのか。

何か事情があるのか、と寄り添わずに

何かのせいにしたり、指をさすことが

誰のためのことなのか。

子どもの前に立つ立場の一人として、

自分は、いま、何に困っているのか、

どこで引っかかっているのか

それを自己分析することも、

起こる出来事や、聞こえてくるひと言、

見えてくる世界から

すごく大切だと思うようになりました。

「できない子が悪い」

「話を聞けない子が悪い」と、

つい思われがちですが、

本当にそうなのか。

一人ひとり違う特性があって、

個性があることは当然です。

集団の中で遅れてしまう子や、

手のかかる子の存在は、時に

「困った存在」として見られがちです。

でも私は、そんな子に出会ったときこそ、

自分の力を試されていると感じるのです。

「どんな言葉なら伝わるかな」

「どんな場面だったら心に届くだろう」

「この子にとって“楽しい”ってどんなことなんだろう」

そんなふうに、自分の引き出しを増やし、

視点を変えるきっかけを与えてくれるのが、子どもたちです。

私は、子どもたちに

学ばせてもらっているといつも感じます。

うまくいかなかったときに、

自分の心の余裕が足りなかったり、

準備や伝え方に

改善の余地があったりしなかったか、

マンパワー不足だからではない?

知識や技量が足りていないことはない?

いったん立ち止まってみる。

その姿勢こそが、

子どもたちの可能性を

守ることにつながるのだと思います。

もしかしたらその方法を見つけたり

一つひとつの出来事に丁寧に向き合うことは

集団の中では難しいかもしれません。

そして、組織の中では難しいことかもしれません。

tempoでは、

いつもその目的はなんのために?という視点を

忘れずにいたいなと思いながら

過ごしています。

今のこの子にとって、

何に困っているのか、何が必要なのか、

日々、過ごしていると、

あれ?と人の言葉や空気感、態度、

その言葉の裏に書かれたものに

モヤっとすることありませんか?

これからも

“その子らしさ”を潰さない関わり,

個性や特性を良い方向に

伸ばせる関わりを大切にしたいです。