私は千葉県船橋市で生まれました。

幼少期のほとんどは印西市というところで育ちました。

日本で住みやすい町

5年連続1位に選ばれた場所です。

隣の駅は船橋で、休みの日には、

アンデルセン公園という場所に

よく連れて行ってもらっていました。

そこにはさまざまなアトリエがあり、

朝早くからそこでたくさん

ものづくりをしていました。

当時、2個上の姉はどんどん自分で作っていくタイプ。

私は父を独り占めして、

一緒に作る時間が大好きでした。

父は、全国を飛び回る講師でほとんど出張で家にいない父でしたが、

なかなか会えない父と交換ノートをしていたようで、なんとなくしか覚えていませんが、

開いてみると、一緒にはいなかったけれど、

たくさんの言葉たちが残っていて、

それが今でも宝物です。

“こんなものを作りたい”その経験を

とことんさせてくれた父。

そこに流れる時間から

見守ってくれている安心感。

大きな愛を感じていました。

寝る前に、今日作ったものを見て、

何もないただの1枚の木から

こんなものが作れる♪ 

自分の思い描くものを形にできた♪ と、幸せ気持ちになったのを

今でも覚えています。

次の日にも起きて続く幸せが、

自己肯定感が高まるきっかけになりました。

生み出せる幸せ、作り出す幸せを

子どもたちに感じてほしい・・・

そんな想いが種子島にアトリエを

作ることに繋がりました。

自分の原点を振り返らずにはいられず、この気持ちを残しておこうと書いています。

そして、本を書いたり、講師をしていた父と同じような道を辿っていることに

今、気づいたところです。

これを機に、ここから私が思うことや

大切にしたいことを書き記していこうと思います。

最近感じていたこと、

手軽なSNSのストーリーで

残してきていましたが、それも

続けてはいきますが、

一時的なもので、流れてしまう

様々な面からの違和感を感じていたので

流れていかずに残るものしたい。

届けたい人に届くことを願って、

本当に残したいことは、

今後、ブログに残していきます。

そしていつか息子にも見てほしいな、と

色々なイベントも遡れたらと思います。

話は戻り

父は病気を発症してから約9年。

いつかのことは、

いつも考えながら過ごしていました。

でも、そのいつかが来た時には

私は原点である父の死を

受け入れるのに時間がかかって

半年くらいは動けないんじゃないか

と思っていました。

帰ってからの東京での物語、

そこからまた種子島に帰ってきてからの物語、

またどこかのタイミングで、記していきます。

現在、父の死から一カ月。

アトリエに通ってくれている方が

「待ってました!」

「しばらくは待とうねと話していたから連絡もらえて嬉しいです。」

「ずっと寂しがってました。」

「顔が見たくて来ちゃいました。」

そんなことを伝えてくれるので

スイッチが入って動き出すことが出来ます。

またまた毎年多忙の時期に突入し、

生涯学習、作品展示、講話、

のぐっちゃんの店、作品展示、

親子教室アート、と怒涛の日々でした。

でも、全部繋がってくることなのも

自分の中でわかっていて、

そうでないことには動いていないので

ご縁ある場所や人と共に

動かせてもらっていることが有難いことです。

お手伝いに来てくださる方、

通ってくれている親子が来てくれるおかげで

毎回、良い終わりでひとつ一つのことを

作り上げることが出来ています。

小さい頃から通ってくれている思い出の場所で⭐︎

初めから終わりまでずっといてくれた

可愛いお客さん♡

あぁ、やってよかったなぁ。と

毎回、終われることが幸せです。

生涯学習の展示は、12月8日(日)

21時まで。

宇宙芸術祭入り口に飾らせてもらっています。

携わってくれた皆様のおかげで

展示することが出来ました⭐︎

ありがとうございます。

詳細も一緒に展示しています。

ぜひ足を運んでみていただけたら嬉しいです。