活動中によく感じること、

こういうときはどうしようか。

沢山の気づきがあります。

そこにいる大人の目が、大人の心が

一致している時にこそできる

グッと堪える見守り。

すこし抽象的な内容になりますが

大切な記録として残します。

“出来なくて悔しい。”

おもう通りに書けなくて

作れなくて、出来ない自分が許せない。

出来ないと言うもどかしい初めての感情は、

イメージするからこそ湧き上がること。

想像通りに、前みたいに出来ない悔しさ。

この感情が僕の中にいる事も

全てが嫌になる。

だからもう嫌だ、助けて。となる感情。

わかるよ。わかる。

でも共感も、励ましも、悟りも

全部入らない時もあり、

それは全部タイミング。

そして時には

ボイスチェンジで入ることもある。

もう、そんなにぐずぐず言うなら

やめちゃったら良いのに。

もうやらないでほしい。

また始まった。。

大人側の心の声を、グッと堪えて

今のこの子は、何を必要として

何を不必要としているのかを見ていました。

人、もの、自分を傷つけない

tempoのお約束。

咄嗟の感情を乗り越えることって難しいけれど

経験が練習。全部学び。だから

たくさんの経験が必要なんだなと思います。

大人にとっても学びです。

大人側が同じことを

思ってくれているのがわかるから

待とう。見守ろう。もう少し、

少し離れたところから

読み取ろうと思えること。

怒るのは簡単、怒鳴るのも簡単。

圧力で言うことを聞かせるのも簡単。

でも、それは人として

どうなのかと思うのと同時に

それをして一時的におさまるものも

この先また同じことが起きた時、

その場に大人がいない時、

1人でいる時に、

あぁそうだった。と、

自分で気がつくことの出来る学びがない。

この先にも、この子のなかで

残る経験になったら良いなと

その先を考えての対応を出来るように

大人側も学びだなと、思う今日この頃です。

これが園だったら、もう

どちらも怪我させてはいけないし、

平和に過ごせるように、もう

喧嘩しないで仲良くしようよ。と

その時の感情を

閉じ込めてしまう関わりをしていたかもしれない。

でも、わたしだから出来ること、

ここだからできる

関わりや経験はなんだろう?とふと

思うのです。

大人と同じように、こどもにも

こども側の都合があります。

ぶつかる時も、

それは目の前に起こる出来事で、

そうだけど、こう思ってしまう子と

こうだからこうだ!と納得している子。

それはその子その子の、経験の背景があり

物語がちゃんとあるから、

その一瞬だけで大人が判断せずに、

前と後のストーリーがある事。

その出来事から

またつながることや

あの時はこんなこともあったよね。と、

笑える日が来るの見えているから、

きっと自分で納得する

あの子も言ってくれていたし

こういうことか!となるその時を

待ってみようと大人の心の在り方を

学ばせてもらった日でした。

きっといつも答え合わせ。答えは

親も子も、

自分の中にあり、そうだよな。

そうか、こうしたら良いんだな。

そうやっていつも、

納得をして、進んでいける。

昔すぎて覚えていないけれど、

自分の過去にもきっとあったはず。

そうやって少しずつ大きくなってきただろうし、

一つ一つ乗り越えてきてきっと今があるから、

あぁ今は、ここなんだな。

ここからまた色々な経験で

自分の中の器も大きくなっていくんだろうなぁ。

そんなことを思わせてくれます。

家での親子の関わりだけでは

見つけられなかった”やりとり”の中での学び。

横にも一緒に走ってくれるお友達がいて、

目線を合わせてくれる

温かさがあることに感謝です。

母としても一緒に成長中の今。

教えているようで教えられている。

大切なことはいつも

こどもたちが教えてくれています。

そのことに、気がつける心の余裕、

ゆとりがないと出来ない事。

グッと堪える。子ども同士の

子ども自身の力を信じて、

心からの

納得が生まれるとき。きっと

そんな繰り返しを積み重ねて、

1番大切な土台を作っている時ですね。

お友だちにもありがとう♡